にしむらの歩み
大正15年
はじまりは、東京で一旗揚げる心意気
初代西村武次郎が福岡から上京。巣鴨に「八ツ目やにしむら」開店。
スローガンは、“東京へ行って、他の人が扱っていないものを売る”だった。
当時、流通事情が良くなかったため、墨田区までリアカーを引き、
うなぎを仕入れていた。
昭和20年代(戦後まもなくの頃)
いつの時代もうなぎは旨し。
にしむらの店頭で、串焼きを頬張るお客さん。
巣鴨地蔵通りの活気が伝わってくる。空襲によって焼け野原となった東京で、 人々は力強く生きようとしていた時代。日本人の情緒と活力を感じる一枚。 戦後のにしむらは、復興に向けて歯を食いしばって頑張る人々の体力を、 うなぎで支えていました。
昭和30年代
二打目デビュー
二代目西村剛が跡目を継ぐ。昭和30年代は、戦後の混乱も一段落。その頃の日本は近所付き合いを親密にするなど、お互い助け合いながらその後の高度経済成長に繋がる動きが出てきました。路地裏では子供たちがメンコやベーゴマなどで遊び、生活にはテレビをはじめとした家電製品も登場。物も心も豊かな時代でした。
昭和40年代
開かれた時代
にしむらの店頭。この時日本はミニスカートが大流行していた。
イギリス出身のモデル、ツィッギーがミニスカートをはき来日、大旋風を巻き起こす。 歌謡番組で美空ひばりが「真っ赤な太陽」をミニスカート姿で歌うと、多くの女性が こぞってはく流行の後押しに。日本女性がセクシーになった。
平成14年
にしむらは三代に
三代目西村卓が跡目を継ぐ。この年は、日本と韓国でサッカーワールドカップ、冬季オリンピックがソルトレークで開催されるなど、スポーツが盛んな一年でした。にしむらも三代に継承され、伝統を守り続けるうなぎの老舗店として、新たな一歩を踏み出しました。
平成17年
いつの時代もうなぎは旨し。
新八ツ目やにしむらビルが完成。
バリアフリーやエレベーター等の環境が整った、利便性の高い店内となる。
その味は時代を経ても、受け継がれたタレと炭火焼きを守り続けている。
90年以上にわたるにしむらの味は、今も変わらない。